続・東北地方太平洋沖地震

no image事件的な
スポンサーリンク

そんなこんなでミッドタウンからの出火は結局なかったのかなぁ。

小一時間くらい外にいただろうか。

最初こそぽかぽか陽気だったのに

いきなり暗い雲が出てきて

あー今日はにわか雨だって言ってたよねぇって感じの空になってきた。

風も結構出てきて寒い。

一緒にいた妊婦さんも極度の緊張と寒さなどで顔にこそ出さないが、つらそうだった。

小雨が降りそうな勢いになってきたあたりに

帰る人は帰っていいよーみたいなことになった。

私も帰りたかったが、電車は止まっているので、帰るに帰れず。

しかたなくまた9Fまで階段を登ることに。

それこそ渋谷の交差点みたいになっているので

多少妊婦さんを気遣いながら、なんとか9Fまで戻った。

まぁ自席で仕事ってどーよ。って感じで地震情報をみながら時間をやり過ごす。

ポツポツと徒歩で帰れる人は帰っていく。

さーて、私は六本木から歩くと25キロくらいになり、あいだに荒川があるので

かるーくトライアスロンになる感じ。

けっこう民族大移動みたいにゾロゾロ歩いているって話は聞いたけど

歩いて帰れる人はいいよねぇって感じで、まぁミッドに身をよせておくかと悠長に構えていた。

そんなこんなで救援物資的な晩御飯ももらったりして、トイレもあるし、今のところ暖かいしで

歩き疲れて野宿になるより全然マシ!と割り切っていたが

午後九時半くらいになってやっと旦那様と電話が繋がって、あまりの焦りっぷりにかわいそうになって

帰りたいわ…と思っていたところへ南北線が動いたよと一報が入る。

あーもう夜の10時だよ…。と思いながら、まぁやっぱりここは私がいっちょ帰ってあげないと!と思い

帰れなかったらミッドに戻ってくるねwと言い残し南北線に挑む。

南北線ってことは六本木一丁目駅から乗らないといけないので、さっそくあいふぉんのGPSで検索。

微妙に軌道修正しながら30分くらいかけて1丁目駅に到着。

実際30分もかかる距離ではないが、いらない陸橋を渡ったりと若干迷っていたのと、

人ごみが邪魔ってので30分。

そこから数少ない南北線に乗って、ぎゅうぎゅうでやっと荒川を越えて川口元郷駅へ到着。

でもってまたまたあいふぉんにて経路検索。

もくもくと、むしろ軽快に歩く歩く。

この時すでに12時くらいで、風も強く寒かったけど何の苦もなしに家に向かってまっしぐら。

気がついたら2時間くらいたっていた。

家に近づくと、旦那様とベルがわざわざ迎えに出てきてくれた。

エレベーターはもちろん止まっているので、6Fからわざわざ2人で降りてきてくれた。

急に安心して涙が出た。

よかった。無事だった。

でもエレベーター無しで6Fまででまた涙が出た(何)

家に入ると、旦那様がくれていた写真と同じぐちゃぐちゃな部屋。

水槽は崩壊し、金魚は旦那様が素手で拾った。

そのうち3匹は1時間後に本棚あたりで見つかって死にかけたてたが、かろうじて泳いでいた。

カーペットは水浸し&ガラスまみれ。

旦那様は靴を履いて歩いていたらしい。それくらいガラスが飛び散っていた。

玄関で靴を脱いだがかなりの危険行為だったが、もうどうでもよかった。

なんかそんくらいぐだぐだだった。

その間実家には何度も何度も電話していたけど、さーっぱり繋がらず。

なんもかんもぐだぐだ。

でも旦那様は一気に安心したようで、疲れた感じで横になって寝た。

地震のない国からやってきて、こりゃないわな。かわいそうに。

極度の緊張で、ボー然としていたことだろう。

そんな旦那様とぐーぐー寝ているベルをみながら私はガラスをポツポツと片付けていた。

その間も実家に電話するがもちろん繋がらない。

そうしている間にまだ暗い4時ころ、母からやっと電話がきた。

電話が来たよ!無事でいる!よかった。みんな無事。

おとーさんがばあさんを裸足で引っぱり出したりしてみんな無事。

とりあえず電気も何もないので、寒いから車で夜明かしをしていると言っていた。

津波はそれこそ3件となりくらいの薬王堂まで来たらしい。

考えられん。ありえん。怖すぎる。

市役所で働いていた妹とは一回だけ電話が繋がったらしく、

役所の天井は落ち、周りは水没で身動きとれず帰ってこれないということだったらしい。

それ以降は電話が繋がらないのでわからないと言っていた。

おかーさんは歩いて市役所まで行ってみたらしいが、水没で近づけなかった様子。

とりあえず連絡がきたので、ひどい状況であることは変わりないが、安心はしたので軽く眠りに就く。

~つづく~





事件的な
スポンサーリンク
un coup de main

コメント